好きなことが今の自分を作っている

みおさん(id:whipcandy)が「自分の日記なんだから好きなこと書いたらいいじゃん!」と書いていらしたのを読んで、喉のつっかえがポロリと取れたような感覚に襲われました。これまでも好きなことを散々書いてきたじゃないかと言われそうですが、書くたびにいつも頭の隅っこには“こんなこと書いて、分不相応と思われるんじゃないか”という不安がこびりついていました。
高校のときに出会った言葉で、文章を書くときに心がけていることがあります。それは、歌人枡野浩一さんの著書「かんたん短歌の作り方」の中にある「自分の顔に似合わない短歌は、つくらないようにしましょう。」という言葉です。いくら格好つけたことを書いたって、その人の顔*1が格好良くなきゃ説得力が無い。これは短歌に限らず、文章全体に言える事だと枡野さんは書いていますし、私も実際そう思います。いくら可愛い乙女メルヘンな文章を書いたところで実際がおっさんみたいな女の子だったらがっかりじゃないですか。しかもネットは余計にそうなりやすい。だから、文章を書くたびに「自分より可愛い、格好いい文章になっていないか」と怯えていました。実際の私は確かに可愛いもの大好き!な面もあるけど、先輩に「むぎが男だったらもっといろんなことできて面白かったのにな!」と言われ肩をバシバシ叩かれたり、同期に「むぎさんが男だったらというか、男と同じもんだよ」としれっと言われたり、それに対してマジ蹴りするようなおっさんな面もあったりする、平凡な24歳なわけで。
だけど、もういいやと。可愛いもの好きなことは本当で、コスメの新作ページを見てわきゃわきゃしてるし、バーゲンの季節だわと鼻息荒くもしているし。おっさん女だけど、可愛いもの好きなんだよ。そんな好きなことを好きなように好きに書くのがこの場所なんだよと、改めて思ったのでした。そういう意味で開き直って自分そのものを書ければ、自分に似合った文章になるよね。少なくとも、周りを気にして逆に格好つけていた今までよりは。
というわけで、このエントリを書くにあたって、久しぶりに「かんたん短歌の作り方」を開いたら、「自分の顔に〜」の項の後にこう続いていました。「魅力的な短歌は、魅力的な作者からしか生まれません。」これがすべての答えのような気がしました。

かんたん短歌の作り方―マスノ短歌教を信じますの?

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*1:この場合で言う顔は見た目だけではなく、その人の生き方、つまり「器」みたいなものだとも書いてあります